1998年4月 弁護士登録(第二東京弁護士会・東京共同法律事務所)
1998年4月 カンタス客室乗務員雇い止め事件を受任
地裁敗訴するも、高裁で逆転勝訴→勝利的和解。当時、地裁で連敗していた同種事件での勝訴は意義深い(主任:事務所の先輩宮里弁護士)。高裁段階で、内部告発文書が送付されてきたことも勝訴の一因となった。
1998年 山一抵当証券被害救済弁護団立ち上げ
山一証券の破たんに伴い子会社が発行した抵当証券のみ被害回復がなされなかったため、事務所の先輩山口弁護士が弁護団を立ち上げた。事務局長として弁護団に参加。最初の説明会で相談者が少なかったため、同期の仲間に弁護団への参加を呼び掛け、電話相談を連日開催した。破産管財人との間で8割での和解成立
1998年 入管職員によるイラン人に対する暴行致死事件の国賠事件提訴
主任:事務所の先輩鬼束弁護士。職員がイラン人男性を仰向きで押さえつけていたところ、いきなり、上半身を起こしたうえ、後ろに倒れ、頭頂部を打って死亡したという言い訳…。敗訴。証拠保全では法務省本庁まで出向いた。
2000年 銃刀法違反国選事件で無罪判決(検察控訴せず確定)
抗争事件に巻き込まれた中国人がけん銃を所持していた事件。所持の認識があったか否かが争点。まだ、時間があったあの頃…東京拘置所に何度も通う→被告人反対尋問で想定外の質問は一問もなし。刑事補償の協議の場で裁判長から「何件目の無罪なのか」との感想をもらった!しかし、無罪となるべきだと考えた事件をこれまでに合計5件担当したが、無罪判決は1件のみ…
2001年3月 「危ない抵当証券―山一抵当証券被害回復の記録」(小西慶太著・弁護団監修・緑風出版)
2001年7月 NHK番組改変事件提訴
NHKは、2001年1月、安倍晋三氏らとの面談後、天皇等の戦争責任を問うた民衆法廷を取り上げた番組を改変。主催者が期待を裏切られたとして慰謝料を請求する訴訟をNHK及び下請、孫請けを相手に提起。
2001年7月 報道被害救済弁護士ネットワーク(LAMVIC)発足
2001年11月 LAMVICへ相談があった地方紙による名誉棄損事件を早期解決
2003年 第二東京弁護士会で「内部告発ホットライン」の実施を呼び掛け、開催
2004年3月 NHK番組改変事件一審判決
東京地裁は、見せるべきではない番組内容を書いた文書を主催者に見せた孫請け会社についてのみ慰謝料を認めた。
2004年10月 普通の保険である定額終身保険における説明義務違反を初めて認める高裁判決を獲得(主任:事務所の先輩山口弁護士)。
2004年10月 もんじゅビデオ隠し説明職員死亡事件提訴
高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故の際、動燃が現場を撮影したビデオを隠した。この隠ぺいの事実を知っていた理事長を守るために、会見でいずればれる嘘をつかざるを得なかった職員が死亡した。この死亡を防ぐことができなかった責任を追及した訴訟。敗訴、上告審で確定。
2005年2月 「報道・表現の危機を考える弁護士の会」(LLFP)発足。
「NHK番組改変問題」について、声明を発表。
2005年8月 LLFPが「憲法を決めるのは誰?―戒厳令下の国民投票」を緊急出版。下記漫画部分を担当。
2005年8月 LLFPが自民党役員による朝日新聞取材拒否問題で「権力を取材する場合、隠し撮りは許される」との声明を発表。
2005年9月 日弁連の調査団の一員として、アメリカ・カナダを視察。
ニューヨークタイムズは毎日2面に大きな訂正欄を掲載。訂正することで信頼を確保しようとしている。無謬性へのこだわりは克服済み。
2005年9月 検索連動型広告掲載拒否事件仮処分・本訴受任
イエローページでの掲載拒否で勝訴事例あり…時期尚早?
2005年10月 LLFPがNHK番組改変事件に関する朝日新聞の反省見解について、「報道の自由の危機を招来しかねない」との声明を発表。
2007年1月 NHK番組改変事件高裁勝訴判決
「ニュース番組と異なり、本件のようなドキュメンタリー番組又は教養番組」については、「取材の経過等を検討し、取材者と取材対象者の関係を全体的に考慮して、取材者の言動等により取材対象者がそのような期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められるとき」、期待は法的保護の対象となる。
「編集権の濫用・逸脱であり、編集の自由の範囲内のものであると主張することは到底できない」
「本件番組は制作に携わる者の制作方針を離れた形で編集がなされていったことが認められる」
2007年6月 総務省「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」中間とりまとめ発表
行政による表現規制を可能とするもの→批判を呼び掛けた→パブコメなどで批判集中→しかし、同年12月最終報告書でも改善されず→結局、反対の声が大きく、総合的な法体系を制定することを断念した。
2007年秋 NPJ(News for the People in Japan)発足
2008年3月 赤旗の人欄「言論や表現の自由を定めた憲法第21条と心中する覚悟です」…憲法21条の意義が失わせるつもりならば私の死体をまたいで行け、ということ(ちょっとキザですが)
※(カッコ)内、日隅一雄さん本人のコメント
2008年3月 映画靖国上映妨害事件で監督から相談を受ける
上映中止を求める靖国神社と書面によるやりとり。先輩・仲間とともに弁護団を発足して対応。弁護士会が初めて上映会を開催。さらに、民間での上映の初日、十数名の弁護士が立会。
2008年4月 「マスコミはなぜ『マスゴミ』と呼ばれるのか 権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する」(現代人文社)
2008年5月15日 グリーンピースが調査捕鯨団の船員らを鯨肉横領容疑で告発
2008年4月15日に帰国した船員が自宅に送付した荷物を16日に運送会社のターミナルで確保したところ、横領したとみられる鯨肉が見つかった。そこで、裏付け調査したうえ、東京地検に告発
2008年6月 NHK番組改変事件最高裁逆転敗訴
期待が保護される基準として、「格段の負担」が取材対象に生じる場合に限定
2008年6月 雑誌にコメントを掲載されたフリージャーナリスト烏賀陽弘道氏がコメントした会社(オリコン)から名誉棄損として訴えられた事件(スラップ訴訟)の第2審弁護団に参加。
勝訴的和解。
2008年6月20日 鯨肉を確保したグリーンピースのメンバー2名が建造物侵入・窃盗の容疑で逮捕
26日間拘束されたうえ、起訴。他方、東京地検は船員に対する横領容疑の告発は不起訴とした。
2008年8月 ComRights(コミュニケーションの権利を考えるメディアネットワーク)を発足。
市民メディア、メディア研究者など。放送・通信に関する法制度を改善させるためのロビイング団体。
2008年8月4日 NPJ 第1回勉強会「マスコミはなぜマスゴミと呼ばれるのか」講師:日隅一雄
2008年9月 沖縄密約文書公開を外務省、財務省に請求(請求者63人)
米軍用地復元補償費400万ドルを日本が負担するとの密約文書などの開示を求めるもの。いずれの文書も米国では公開済みのもの。
2009年2月 共著「裁判員制度と知る権利」(現代書館)
知る権利を主題として裁判員制度を考えるもの。
2009年3月 沖縄密約情報公開訴訟提起(原告25人)
密約文書の開示が認められなかったため、司法判断を求めて提起したもの。西山元毎日新聞記者の相談を受け、情報公開訴訟のエキスパート小町谷弁護士を中心とする弁護団で対応。訴訟では、吉野文六氏に対する尋問を担当。
2009年2月 国会図書館が閲覧禁止とした文書(在日米軍兵士らに対する刑事裁判権放棄に触れている検察官向け文書)の閲覧を求める訴訟提起(原告斎藤貴男氏)
2009年2月 「審議会革命―英国の公職任命コミッショナー制度に学ぶ」(現代書館)
2009年5月 人権大会シンポジウムのため韓国視察
2009年7月 NHK受信料支払い拒否事件東京地裁敗訴判決(最高裁で確定)
2009年8月 民主党が単独で政権を奪取
原口総務大臣が放送行政に関する独立行政委員会の設置、クロスオーナーシップ打破に向け意欲。総務省に検討するためのフォーラムを立ち上げた。
2009年11月 人権大会シンポジウム「いま表現の自由と知る権利を考える ~自由で民主的な社会を築くために~」開催
表現の自由を保障する方向でのシンポジウムとしては初めての開催。
2010年3月 日弁連の見解を説明する機会を得たが、すでに官僚らによって、方向性が歪められており、菅政権の崩壊に伴い、放送行政改善の目は摘まれた。
2010年4月 沖縄密約文書公開訴訟、一審勝訴判決
2010年4月 警察官による中国人射殺事件で第2審が損害賠償を認める判決
職務質問中に逃走した中国人に対する発砲が正当防衛の範囲を逸脱しているとの判断(警察官に対する尋問を担当)
2010年5月 衆院総務委員会に参考人として出席し、放送法改正案について意見を述べた。
2010年6月 映画「コーブ」上映妨害問題発覚
弁護士会で声明を出すとともに、街宣予告現場、上映館初日に立ち会う
2010年9月 グリーンピース横領疑惑鯨肉窃取事件で執行猶予付き有罪判決
懲役1年執行猶予3年。極めて形式的な判断。高裁で敗訴後、上告は断念。
国際的には被告人らの行為は容認できるとの見解
国連人権理事会「恣意的拘禁に関するワーキンググループ」
「市民は公務員の不正が疑われる場合にはこれを調査し、疑惑を裏付ける証拠を明らかにする権利を有している」デレク・フォルホーフ教授(ベルギー・ヘント大学)の証言
2011年3月11日 東日本大震災・東電原発事故
16日夜から東電本店での記者会見に参加。入院を挟んで、政府・東電合同会見が終了した12月末まで。
2011年4月 警察官による中国人射殺事件で第2審が損害賠償を認める判決
職務質問中に逃走した中国人に対する発砲は違法との判断(警察官に対する尋問を担当)
2011年4月15日 NPJ 新シリーズ 原発特集「いま私たちは何をするべきか」 http://www.news-pj.net/npj/mv/2011.html
東電取材を続けているNPJ日隅一雄編集長の提言
2011年5月23日、25日 癌告知
5月26日入院、6月15日退院、以後化学療法を中心に治療を継続
2012年12月19日 NPJ編集長日隅一雄 連続対談企画~無制限10本勝負~
第1回「伝えないメディアを変革する方法」ゲスト:藤森研氏(元朝日新聞編集委員)
2012年1月1日 NPJ編集長 日隅一雄 ロングインタビュー「闇に光を 情熱は病をこえて」
http://www.news-pj.net/npj/mv/2012-1.html
2012年1月 「検証 福島原発事故記者会見 東電・政府は何を隠したのか」(岩波書店)
2012年1月 「マスコミはなぜ『マスゴミ』と呼ばれるのか 権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する」補訂版(現代人文社)
2012年1月 IWJ岩上安身氏による日隅一雄インタビュー(動画・約4時間)http://iwj.co.jp/wj/open/archives/9134
2012年1月30日 NPJ編集長日隅一雄 連続対談企画~無制限10本勝負~
第2回「審議会が本来の機能を取り戻すために」ゲスト:青山貞一氏(東京都市大学教授)
2012年2月8日 海渡雄一弁護士×日隅一雄弁護士 合同出版記念パーティー
2012年2月27日 NPJ編集長日隅一雄連続対談企画~無制限10本勝負~
第3回 「最後の切り札 内部告発をいかに保護するか」ゲスト:高田昌幸氏(元北海道新聞
2012年3月16日 NPJ編集長日隅一雄連続対談企画~無制限10本勝負~
第4回「こんなに遅れている日本の情報公開制度」ゲスト:三木由希子氏(情報公開クリアリングハウス理事長)
2012年3月30日 「徹底分析 弁護士日隅一雄」日本プレスセンターにてhttp://iwj.co.jp/wj/open/archives/7030
2012年4月12日 「『主権者』は誰か 原発事故から考える」(岩波ブックレット)
2012年4月14日 NPJ編集長日隅一雄 連続対談企画~無制限10本勝負~
第5回「特別企画 バトルロワイアル 原発とメディア」ゲスト:藤森 研氏、吉永春子氏、岩上安身氏
2012年5月8日 NPJ編集長 日隅一雄 連続対談企画~無制限10本勝負~
第6回「特別企画第2弾 模擬コンセンサス会議・原発存廃」ゲスト:宮台真司氏
2012年6月5日 福島県須賀川市 講演・鎌田實との対談 日隅一雄 福島での最後の講演
2012年6月10日 吉祥寺で行われるチャリティライブ「フクシマを思うシリーズ5」
「どうしたら原発事故のような人災を防ぐことができるのか」日隅一雄 最後の講演
2012年6月12日 永眠(享年49歳)
2012年6月14日 NPJ編集長日隅一雄 連続対談企画~無制限10本勝負~
第7回「敵は天下りシステムにあり」ゲスト:植草一秀氏、天木直人氏、岩上安身氏
2012年7月 「国民が本当の主権者になるための5つの方法」(現代書館)
2012年7月22日 日隅一雄さんを偲ぶ会
2012年7月24日 NPJ編集長日隅一雄 連続対談企画~無制限10本勝負~
第8回「デモとメディア~路上の政治は報じられているか~」ゲスト:金平茂紀氏(TBS 「報道特集」 キャスター)・五野井郁夫氏(高千穂大学准教授)・原田裕史氏(首都圏反原発連合)
2012年10月3日 NPJ / 日隅一雄・情報流通促進基金設立準備会 共催企画
(NPJ編集長 日隅一雄 連続対談企画~無制限10本勝負~ 第9回)
「福島・沖縄の犠牲はなぜ伝えられないのか~メディアを問う~」
ゲスト:高橋哲哉(東京大学教授)・我部政明(琉球大学教授)・白石草(OurPlanet-TV)
2012年12月12日 「日隅一雄・情報流通促進基金」設立
2012年12月17日 「日隅一雄・情報流通促進基金」設立記念シンポジウム
(NPJ編集長 日隅一雄 連続対談企画~無制限10本勝負~ 第10回)
「わたしたちが主権者となるとき ~脱原発の政治へ~」
ゲスト:落合恵子(作家)・満田夏花(FoE JAPAN 理事)
2013年1月22日 同基金による「日隅一雄・情報流通促進賞」「日隅一雄・情報流通促進援助制度」開始
2013年6月12日 「日隅一雄・情報流通促進賞」贈呈式
※ この「弁護士日隅一雄の足跡」は生前の日隅一雄さんが自ら作成したものに、基金設立に当たって基金スタッフ他が加筆し、完成しました。